よろぶん あにょはせよ〜
昨日は、東大門の漢陽都城博物館を紹介しました。
昨日紹介した常設展のほかに現在は
漢陽都城博物館上半期企画展
「粛靖門〜閉鎖された城門を開く〜」
숙정문~폐쇄된 성문 열다
(4月25日〜9月10日)
を開催しています。
粛靖門は漢陽都城の4大門(東西南北)の北大門にあたる門
北大門って??
大門なのに見かけたことないって思ったでしょ!
都城にある門は外と内の人の出入りを管理するために存在するのですが、この門は景福宮の北側
白岳山の麓に建てられたためほとんど人の出入りがなく
しかも、陰陽五行の習いから景福宮の地脈を完全にするために閉鎖されていました。
だから、ソウル市民の生活に溶け込んだ他の3つの門と比べると馴染みがないわけです。
だから、ソウル市民の生活に溶け込んだ他の3つの門と比べると馴染みがないわけです。
粛靖門は朝鮮初期の漢陽都城の北門下に建設されましたが、いつも閉鎖されていたため、実際の城門の役割はできなかった門です。
他の城門が都城と主要幹線道路が出会う接点にあったのと違って、白岳山の険しい裾の中にある粛靖門は接近性がよくありませんでした。
しかし一方では、農作業が国家経済の根本だった朝鮮で降雨に関する儀礼を行なうことに重要な役割を果たした門でした。
(パンフレットより)
今回の展示は漢陽都城の城門として造成されたが、肝心の出入り機能はできなかった粛靖門の役割と地位について調べる場として用意しました。
長い間近づけなかったが今では漢陽都城を登る誰にでも開かれた粛靖門の歴史を振り返る機会になってほしいです。
長い間近づけなかったが今では漢陽都城を登る誰にでも開かれた粛靖門の歴史を振り返る機会になってほしいです。
人が出入りする門としての機能が無かった粛靖門ですが
農作業が国家経済の根本だった朝鮮で降雨に関する儀礼を行なうことに重要な役割を果たしたのです。
祈雨祭と祈晴祭は国家が主導する祭祀でした。
粛靖門は、祈雨祭と祈晴祭や儀礼が行われる場所として重要な位置を占めた。
何日も雨が降らなくて、国に大きな旱魃あったら、崇礼門(南)を閉めて粛正門を開けた。
陽の気運が強すぎて干ばつが発生したから、陽を抑えて陰を補充して雨を迎えようとする陰陽論の論理だが、南の崇礼門が陽気、北の粛正門が陰気に当たる。
反面、雨が降り続けると晴れることを願う祈晴祭が開かれた。
展示室では、祈雨祭と祈晴祭の様子をアニメーションで見ることができます。
このように門としての役割より祭礼用としての役割が大きかった粛靖門
近代になると、日本による交通整理や都市開発により多くの都城が失われるなか
人の通りが無かった粛靖門は破壊されず唯一左右の都城がくっついた状態で残っています。
1968年1月21日 北朝鮮工作員による大統領府襲撃事件がおきます。(121事態)
粛靖門は大統領府(青瓦台)の真後ろにある門ですから、保安上の問題から封鎖され一般人の出入が厳重に管理されていました。
まあ、数年前まで青瓦台の前大通りですら夜間通行禁止になっていたのですからさもあらんです。
いまでもその時の激しい銃撃戦の後が岩に残っているのだとか
(語学堂の教科書に書いてあった)
封鎖中も、修復工事は進んで朝鮮時代の姿を取り戻しました。
2006年白岳山の順次開放事業により2007年4月から一般人の訪問が可能になったんです。
ただ、今でも軍事保護区域であるので決められた時間だけ観覧することができます。
公共の交通機関で行くのは難しい場所ですが、ぜひ1度訪れてみたいですね。
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